しかし意外なことにこのペンマーク、当初は义塾が制定したのではなく、塾生が胜手に使い始めたという説が有力なのだ。
1900(明治33)年、大学部の塾生に记章付帽子の着用が告知され、この时点でペンマークが正式な义塾のシンボルマークになったことは间违いないのだが、伝説をたどるとその15年ほど前から一部塾生には使われていたらしい。
和服に饱き足らなくなった数人のおしゃれな塾生たちが、揃いの洋服と帽子を誂えたときに、その顷の讲义で学んだ「ペンは剣より强し」という言叶にちなんでペンが交差したデザインを考案し、共通の记章として帽子に付けたというのである。
ただし、别の説もある。それは「义塾の纹章を考えてみないか」という福泽先生の意向を受けた塾生がデザインした、というもので、今となってはどちらが真実かはわからない。