1958(昭和33)年の义塾创立百年の元旦、図书馆旧馆の南隣にある塾监局の屋上に塾旗が初めて掲扬され、以来、义塾の记念日や式典、行事などの际の塾旗掲扬が习いとなった。现在でも、记念日などにそれぞれのキャンパスで空にひるがえる塾旗を目にする机会は少なくない。各キャンパスで塾旗が掲扬される场所は次の通りである。
【三田キャンパス】塾監局屋上、東館、叁田演説馆入口、南校舎入口
【日吉キャンパス】日吉记念馆屋上
【矢上キャンパス】创想馆屋上
【湘南藤沢キャンパス】A馆(本馆)前
塾生なら誰もが入学式で日吉记念馆の壇上に掲げられた特大サイズの塾旗を目にしたことがあるはずだ。この旗の寸法は縦3.3m×横6m。しかし、最大の塾旗は三田キャンパス西校舎ホール?北館ホールに掲揚される旗で、縦がやや長く4.1mある。なお、式典等の際には叁田演説馆、信濃町キャンパス新棟大会議室?北里講堂、湘南藤沢キャンパスΘ館などでも壇上に塾旗が掲げられる。
东京六大学野球で神宫球场にひるがえる塾旗は、义塾から应援指导部に贷与されているものだ。现在、同部は12畳旗と称される「幻の大塾旗(3.7m×4.6m)」「大塾旗(4m×4m)」「新世旗(3.6m×4m)」など、9本の塾旗を所持している。「幻の大塾旗」は、もともと固定旗として作られ、人间が持ち上げることを想定していない非常に重い旗だが、部员が3名がかりでスタンドでの掲扬に挑戦している。
もっとも远くまで行った塾旗といえば、1994(平成6)年?1998(平成10)年に塾员で日本初の女性宇宙飞行士である向井千秋氏(1977年医学部卒)がスペースシャトル搭乗时に持参したものだろう。帰还后には叁田や信浓町で塾旗返还式が行われている。
塾生の発意から生まれ、时を超えて受け継がれてきた塾旗。それは単なるシンボルではなく、脉々と受け継がれる「独立自尊」の理念を体现する存在といえるのではないだろうか。