アインシュタインは、午后1时半から4时半までの约3时间、ジェスチャーを交えながら「特殊相対性理论」の説明を行った。1时间の休憩の后、再び5时半からおよそ2时间かけて今度は「一般相対性理论」について讲演。前日に新闻に掲载した讲演の告知広告に「注意?同讲演はアインスタイン教授の希望に依り长时间にわたる见込みなれば、パンの用意ありたし」と记された通りの长时间讲演だった。当时の読売新闻によると、聴众はアインシュタインの「金铃を振るやうな音楽的な」声に酔わされ、最后まで静かに、热心に闻き入っていたという。
慶應義塾での講演概要は、わが国初の大学学生新聞『三田新聞』大正11年11月21日付に「特殊及び一般相対性原理論に就ての概論——私の相対性理論には特殊相対性理論と一般相対性理論がある——」という見出しで約半ページの記事として掲載されている。また、『改造』の翌年1月号に、通訳を務めた石原純による講演内容のまとめが掲載され、その記事は1933(昭和8)年に発行された『アインスタイン教授讲演録』(改造社刊)に収録されている。同書には、アインシュタインの講演録のほか、アインシュタイン自身が筆をとった日本感想記、講演旅行に同行した漫画家?岡本一平(芸術家?故岡本太郎の父)によるスケッチと文章が付されており、慶應義塾は岡本氏本人からの寄贈本を所蔵している。