昭和24年 开催中止となる |
この年までは、学园祭の名称や开催场所が统一されていなかったが、「叁田」が庆应义塾の代名词であることから、この年「叁田祭」の名称のもと、叁田を中心に実施する案が出された。しかし大学侧と学生侧の调整がつかず、最终的には中止となる。 |
昭和26?27年 独自の叁田祭活动 |
この时期は现在とは异なり、「文连叁田祭」や「合同叁田祭」など、各団体が独自に运営?実施していた。 |
昭和28年 95周年叁田祭 |
庆应义塾创立95周年を记念して、全塾自治委员会を中心に実施された叁田祭。塾内の各団体、文连、学研连、体育会、全庆连、新闻3パート、経済学部ゼミなどが一同に参加、25,000人の観众が集まり、充実した大学祭となった。 |
昭和29年 统一叁田祭 |
前年度の合同開催の成功を受けて、「统一叁田祭」の名称で実施。ただ、大学祭の統一に対しては各団体の意見は一致したものの、会場問題(分配等)では意見が大きく分かれ、開催が危ぶまれた時期もあった。しかし、結果的には、30,000人の観衆が集まり、盛況のうちに終えることができた。この年あたりから「叁田祭」や「統一」の意義?目的が盛んに論議されるようになった。 |
昭和32年 义塾祭 |
慶應義塾の特色を積極的に外ヘアピールし、全塾的な総合学园祭にしたいとの実行委員の意向から、名称を「义塾祭」に変更。 |
昭和33年 百年祭 |
庆应义塾创立100年记念行事の最后を饰るイベントとして、日吉キャンパスで実施された。百年祭とのことから、幼稚舎、普通部、中等部も参加、来场者は120,000人にも上った。 |
昭和34年 叁田祭へ |
义塾祭から「叁田祭」へと名称が復活。開催会場も2年ぶりに叁田キャンパスに移り、100,000人以上の動員数となった。 |
昭和36年 再び义塾祭へ |
三田が校舎増改築工事のため、「义塾祭」と称して日吉で開催される。 |